yomayt’s blog

観に行った舞台関連とか

海外で千秋楽されることについて

「猫も杓子も舞台化」

そんな言葉をきくくらい、毎週といっていいほど、なんらかのアニメや漫画作品の舞台化の発表がされる

それが当り前になってきて、驚くことすらなくなった

昨今、日本の主要都市の劇場では毎週いや毎日どこかしらでいわゆる「2.5次元舞台」が公演されている

それらが海外で公演することも珍しくなくなってきた

ふつうの舞台ですら海外で公演なんて滅多にやらないのにね

昔は知りもしない作品でも「舞台化」が発表になるだけで大騒ぎだった


まあそのはなしは今回は置いておこう


りさ子のガチ恋♡俳優沼をみてきた記録 - yomayt’s blog http://yomayt.hatenadiary.jp/entry/2017/08/13/175357

以来の更新だし、前回読んだ人はわかるとおもうけど文章のまとまりのなさは覚悟してほしい

今回は「海外公演」について率直につづろうとおもう

とりわけ、海外公演を「大千秋楽」にしてることについて。

いやー、毎回おもうね

「まじふざけんな」っておもう

あまり悪いことば使いたくないんだけど

もうぜんぶ。色んなことぜんぶにたいして、おもう

千秋楽を海外に設定しているってことは、円盤に残らないし配信もされない。
※そもそも舞台はナマモノで円盤にのこったところで同じものであるとは一切思ってないし、一応「国内」千秋楽といったものが円盤にのこるし映像配信もされたりする。


「公演」が円盤になるだけいいじゃんっておもう?



そうじゃない。



一番最後の集大成が記録としてのこらないのが嫌なんだ。

実際に海外公演で千秋楽をみてきたからこそ強くおもう

最後が近づくにつれて、パフォーマンスが全然ちがう。
これは役者の力が、とか演出がかわる、とかそういうんじゃない。きっと気持ちだ。観る側も演る
側も「これが最後」という気持ちでむかえるあの千秋楽の空気。それは海外においても全く一緒。

それが残らない。あの全力をつくしてやりきった演者たちのカーテンコールのさわやかな表情ひとつも。


つらい。



観てない人にとったら贅沢かもしれないが観にいったからこそいえる。

今までこの作品を応援してきた人のもとに届かないのが つらい

いままで応援してきた、という枠はなにも日本だけをいってるんじゃない
せめて円盤や配信になれば、カタチにのこればその場に来ることができなかった世界中のひとも観ることができる。

海外公演はたのしい。演者のテンションが地方公演の何倍も高い。

それをちょっと悔しく思うくらいだ

いつもやらないようなことを平気でやったり。それは海外の雰囲気がそうさせるのだから仕方ないのかなどともおもうけど(海外だからを理由に日本よりもサービス満点で奔放なことをされるのは舞台に関係なく若手俳優イベでも私は非常に不愉快におもうほうだが今回はそれについては触れないでおく)


でもそんな違う表情をみれたとき に、ああ、なんて素敵なものがみれたんだろう海外にまできてよかった、とおもう一方

いまみているものはなにひとつ記録に残らない、という思いがわきあがってしまい、この瞬間だけそんな自分の気持ちが消えてなくなってしまえばいいのに。そもそもなんで全力で楽しむことができないんだろう、とおもう。


そんな自分にたいしてもまじふざけんなって思う


念写できるものならしてやりたい。修行したらできるようになるのかな。人間の記憶なんて曖昧で細かなことなどソッコー忘れるし自分の都合のいいようにしか記録できない




海外公演は空席が目立つ。日本では見切れサイド立ち見すらとりあいになる公演も海外は完全にうまるのなんてせ いぜい千秋楽くらいだ。

わたしたちが普段全力かけてチケットとってる公演も海外にいけばホイホイとれる。むしろとれすぎて困るくらいに。譲渡でハケなきゃつまり空席だ。
ちなみになかなか良席でないと、ハケない。


どうして、そんなところで最後をむかえるんだろう。
熱のこもった最後の公演が海外で、
円盤を残せない場所を選ぶんだろう

たとえば海外やったあと凱旋帰国で日本千秋楽にしたとして、最後は円盤にのこすことになったら、最初から見込んでいる日本人客を海外によびこめなくなるとでもおもっているのだろうか。

ふざけないでほしい。こちとら円盤なんて関係なく中日だろうがなんだろうが、いきたきゃ行く生き物なんだ。

そもそも最初から日本人客たのみでやるようなら海外公演なんてやるな、とおもう。


現地人ですら中々足をむけなかった土地で経験した海外初日2階席3〜40名以下だったあの公演はいまでも忘れられない。


ガラガラの2階席に降り立ったキャストが誰もいない席を自由に歩くなんて、日本では考えられない光景だった


いくら人気があっても実際に劇場に足を運ぶまでの熱意があるファンの数など、日本に比べたらこんなものなのだ




私にとって「海外公演にいく」というのはある種のキレ芸だ。

いちばん最初にキレたのは、たぶん2.5次元作品にとって初の海外進出になったであろう王子様がいっぱいのあの作品だった。

あの時もとにかく日本ではチケットがとれなかった。ダブルキャストのような扱いで、人気のキャスト回によってはまったくチケットがない。


今みたいにチケットのとりかたもうまくわからず、
公式FCもなく、ツイッターもない当時、オークションで高いものでも20万で売られてると知って、



キレた。



そこでふと気づいた。海外公演が今回あって、もし同じ金額払ったとしても、海外に行ったほうが
安いし、むしろ回数入れるのではないか?

そうおもってチケットをとろうとしたら、皮肉にも前方席が余裕で余っていた。

日本ではありえない状況だ

とっくに発売開始して数日たっていいるのに、とれたのは前から6列目だった


日本からも行く人なんてあまりいなかったのだ


チケットの金額は現地人むけと日本人むけで価格設定がちがっていた。日本人価格で買ったとしても前方席は8000円にもいってなかった気がする


実際劇場にいったら、後方席がうまっていて前方席がすいていた

現地の人にとっては現地人むけ価格も高かったのかもしれないが当時の海外の2.5人気なんてこんなものだった。拍子抜けした

でもトータル考えても楽しかった。現地の人は優しく、また今みたくライビュも配信もなかった時代だから、感極まってたし、たいせつに公演を観ているのがとても伝わった。

あと、現地の新聞にフルカラーでおっきく載っていたのも覚えている

この経験が自分に「海外にいけば易々と多ステできるどころか、国内とは違う雰囲気とパフォーマンスを観ることができる」という知識を与えてしまった。

でもこのときのキレの原動力は日本で全くチケットがとれないのに転売されてるチケットが高額で
そんなバカバカしいの買う力出すくらいなら海外いったのが安く済む 、そして


純粋に大好きな今公演を沢山みたい。これに尽きた。


そこに「千秋楽が海外でやるのに円盤にのこらない」はなかった。
この公演は千秋楽を日本でやってそれが円盤にもなった。


残ったのだ。実際観ることはできなかったけど自分が観たかった最後の彼らの姿は残ったのだ(ただし色々事情があってこのあとこの円盤は廃盤となるがそれについてはふれないでおく)





いままさに私がやっているキレ芸はあの頃とは異なる。


どちらかというと、「円盤に残らないから観に行って目に焼き付けてやる」ってキレてるんだ。


でもほんとに行きたいと思ったら、円盤にのころうともいける場所なら地球上どこだって行く。


ほんとは、一番最初のキレ芸みたいに


「楽しいから、たくさん今公演が観たいから行く」


そんな気持ちで観に行きたいのだ




年末の海外公演が発表になった。


そしてまた私はキレた。キレることは予測していた。

最初から日本で最後にしてくれないことなんてわかってた。

わかってて、キレる準備をしてた。覚悟もしていた。


わたしはいつ ものとおりに、

休暇の申請をしてホテルと飛行機の手配をとり、現地情報を調べる


旅費なんて国内旅行とさしてかわらないと言い聞かせながら。

すべては映像にのこらない有終の美を見届けるために




まだ、手元にチケット一枚もないけれど







でも正直年に3回もキレるのは、疲れた